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山頭火を読みました。

種田山頭火―「人生遍路」

病院の待ち時間に、久しぶりに山頭火の句集を読みました。
待合室兼廊下が薄暗くて、とても普通の本は読めません。
病院を替えて以来、血圧測定の上が150を越えてばかりいます。
高血圧でもないのに、あまりのことに先生もあきれているようです。
待ち時間の長さ、照明の暗さがストレスになっているせいだ、と私自身は秘かに
思っているのですが・・・。

話を戻して“山頭火”
山頭火は波乱に満ちた人生、旅と酒そして俳句に明け暮れた人生を送った人です。
その山頭火を知ったのはいつ頃なのかはっきりしません。
亡きフランキー堺さんが山頭火を演じたNHKドラマがきっかけだったのかそれとも
その前から知っていたのか・・・。
フランキーさんが演じた山頭火は印象深く、そのことが大きかったことは確かなこと
です。

最初に知った句は
“分け入っても分け入っても青い山”
昔、とあるビルのエレベーター脇にこの句のプレートが貼られていました。
このビルのオーナーは山頭火好きなのかなあ、とエレベーターが開くまで眺めて
いたことを未だに覚えています。

“どうしょうもないわたしが歩いてゐる”
衝撃をうけた1句です。
五七五にこだわらない自由さで、誰にでも作れそうでいて誰にも作れない句だと
思いました。

“捨てきれない荷物のおもさまへうしろ”

“雨だれの音も年とった”

“まっすぐな道でさびしい”

“うしろすがたのしぐれてゆくか”

“あれこれ食べるものはあって風の一日”

“蜘蛛は網張る私は私を肯定する”

自由な作風に魅かれながらちょっと間を置いていた時期があったのは、彼の生き
方の悲惨ともとれる部分を必要以上に感じすぎたせいかもしれません。
家族を捨て旅をしますが、その旅も自分で自分を追い立てているようで、最後は
孤独に死んでいったというイメージが拭えませんでした。

その後、彼は俳句仲間のいる隣の部屋で亡くなったことを知り、私の中で感じ方が
180度変わりました。
好きな酒を飲み、気の合う友人たちの俳句を論じる会話を聴きながら至福の思いで
そのまま亡くなっていったのではないか、と勝手に想像してみました。
実際には脳溢血で倒れて、翌日に亡くなったようですが・・・。

そう思うと1句1句をネガティブに読むのではなく、もっとおおらかに読んでいいのだと
思えるようになりました。
俳句に関して特に勉強をしたわけでもないので(もちろん鑑賞するだけで)逆に自由
でその時々に感じ取れるものが違って楽しみがあります。
ちょっとした時間に短い文章で一つの世界に遊べる、これは楽しいものです。

“お遍路が一列に行く虹の中”

亡くなった渥美清さんの句です。
想像するに、抱えているものはそれぞれに重いとしても、雨上がりの日差しの中黙々
と歩く姿に明るい開放感とスケール感があって、遠く鈴の音まで聴こえてきそうです。
とても好きな句です。

余談1.
日本テレビ系列のドラマ「セクシー ボイス アンド ロボ」 の最終回を録画したものを
観ました。
ほんの少ししか観ることが無かったドラマですが、自然なセリフに印象的なものが
あって気になっていました。
最終回にも“よく遊んだ。楽しかった。”というセリフが何度か出てきます。
特に珍しい言葉ではありませんが、話の流れの中で聴くとシーンごとに余韻があり
胸に迫ってくるものがありました。
山頭火にも、そして誰にも、もちろん私にも、そうあって欲しいそう言えたなら、と
考えさせられたそんな言葉です。

余談2.
いつのまにか膨大な山頭火関連書籍が出版されていました。
数点の高価なものしかなかった時代があり、当時はとても手に入れることが
出ませんでした。
今回、私が読んだものは100円ショップで購入したものです。
時代の変わりように驚くばかりです。

酔いどれ山頭火
酔いどれ山頭火

しみ入る心の山頭火

しみ入る心の山頭火
片岡 鶴太郎

山頭火句集 (ちくま文庫) 山頭火随筆集 (講談社文芸文庫) 『求めない』 加島祥造
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