広瀬川の散歩
最近声が出にくかったり、そうかと思えばドライアイや飛蚊症がひどくなったり・・・
さすがにお医者さんはズバリとは言いませんが“年のせい”ということのようです。
原因がわかっても症状が軽快することもなく鬱陶しさが続きます。
きょうは秋らしい天気の日曜日、気分転換にデジカメを持って広瀬川河畔を2時間ほど散歩してみました。
写真はクリックすると少し大きくなります。
出発地点は広瀬橋(仙台市)、日本初のコンクリート橋との表示があります。
遊歩道を川に沿って遡って行きます。
すぐに小さな堀との合流地点があり、そこを覗くと巨大な黒い鯉の群れが見られます。
時には黄色(金色?)の鯉も見られますが、きょうは姿がありませんでした。
このあたりは水が濁っていますが、栄養分が流れてきてそのため鯉も巨大化しているのではないかと勝手に推測しています。
きょうは休日でジョギングや散歩をしている人が多いのですが、みんな知っているのかあまり覗く人もいません。
写真の鯉が小さくてよくわからないのが残念です。
次は郡山堰・・・いつもは様々な鳥が見られるのですが、一羽も見当たりません。
休日は警戒しているのでしょうか。
向かいにサギと思える鳥がいました。
宮沢橋・・・遠くに芋煮会の人たちが見えます。
道端に初めて見た標識がありました。
鎧淵古戦場跡とあり、“源頼朝が奥州征伐で藤原泰衡と戦った”とありました。
最近立てたものと思われますが、こんな歴史があったことも初めて知りました。
宮沢橋を潜ると、中洲があります。
この中洲にはたくさんの野鳥が生息していて、この周囲ではよくカヌー遊びなどが行われているようです。
愛宕橋を渡り、市街地、東北学院大学の前、そして住宅地を通り、かなり歩くのですが縛り地蔵尊に到着しました。
小さな地蔵尊ですが写真を撮るのは何となくためらわれて、拝むだけにしてその代わりに由来を書いた看板を撮ってみました。
内容は「伊達騒動の時、伊達兵部を討とうとした伊東七十郎が逆に捕らえられて処刑され、“3年後に亡き者にしてやる”と言い残したところ、実際に伊達兵部はその通りとなった」とのことです。
七十郎を供養して建てられて“あらゆる苦難を払う”という願掛けとしてお地蔵さんを縛るようになったとのことですが、いまひとつ縛るという行為に結びつくのがわからないのですが・・・。
地蔵尊のすぐ後ろに広瀬川が流れています。
向かいが断崖絶壁になっていて、小さな滝(一部茶色に見える場所)も流れています。
今年、テレビでこの崖で巣立ちを迎える鷹(だったか?)を追った番組がありました。
こちら側では、やはり家族連れや学生さんたちが芋煮会をしていました。
みんな和やかで幸せそうで、ついこの世の中に不幸せな人たちなんていないんじゃないか、などと思ったりして・・・
本当に暖かい気温で、青空の下ののんびりとした光景でした。
私も疲れもあって、何しろこんなに歩いたのは久しぶりなので、ベンチでウトウトしてしまいました。
後は、ひたすら疲れた足を引きずって戻るだけでした。
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