市川崑監督が亡くなって
上の写真は 「トッポ・ジージョのボタン戦争」(1967年)撮影当時の監督です。
今月13日、市川崑監督(92歳)が亡くなりました。
監督の作品をそれほど観ているわけではありません。
ただ、ニュースで晩年の監督が「映画は永遠です。どうか愛してください」と言っていたのがとても印象的だったものですから、僅かな記憶で書いてみようと思いました。
やはり、印象的だったのは「東京オリンピック」(1965年)です。
当時、芸術か記録かと論争になったことは今にも伝わっていることだと思いますが・・・。
確かにそれまでに観たオリンピックの記録映画、ちょっと退屈な記録映画とは違っていました。
正直あっけにとられて観ていた記憶があります。
一番印象的だったというか、今はそれしか覚えていないのが競歩でした。
それまで競歩というスポーツを知りませんでしたから、あの独特な走り方・腰の振り方をしつこいほどに(実際は短時間だったのかもしれませんが)追った撮影はかなりのインパクトがありました。
結局この映画は批判があって、別に記録映画が作られたというような記憶があるのですが、この記憶にはちょっと自信がありません。
調べてみると、外国ではいろいろな賞を獲っていたようです。
その後は、テレビドラマ「木枯し紋次郎」(1972、3年・フジテレビ)や最初の「犬神家の一族」(1976年)なども好きで観ていました。
「細雪」(1983年)や「おはん」(1984年)なども観ているのですが、好みではなかったのかあまり記憶に残っていません。
今回、ニュースなどで流されている「ビルマの竪琴」(1985年・中井貴一主演)の映像を観ていて、最初の作品(1956年・日活)の方を観ていたことを思い出しました。
子供で何もわかりませんでしたが、安井昌二さんの姿や竪琴の音が哀しかったことを覚えています。
あれから長い年月が経ってしまいました。
監督のご冥福をお祈りいたします。
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