「ラジオ深夜便」元黒澤プロの野上照代さん
真夜中に2度ほど「岩手・宮城内陸地震」の余震があり、その度に飛び起きていました。
「ラジオ深夜便」の“こころの時代”は、元黒澤プロ・プロダクションマネージャーの野上照代さんでした。
確かに長いこと知っていた名前ですが、81歳ということに驚きました。
今年公開された映画「母べえ」(山田洋次監督・吉永小百合主演)の原作者であることも初めて知りました。
番組のタイトルは“私の人生は映画といえる幸せ”その第1回。
タイトルだけで興味が湧きましたが、寝不足でうつらうつらしながらの視聴となったのが残念でした。
出版社勤務からスクリプターに転身したとのこと。
昔、私も密かにスクリプターに憧れたことがあって、興味津々でした。
戦争のため、スクリプターは検閲のために存在したようで、映画を作り終えると提出(お上へ、でしょうね)していたとか・・・。
ト書きなどの無い、セリフだけのものだったようです。
週2本の映画を抱えて、撮影班も何班にも別れている中で大変な忙しさだったようです。
それでも、その活気に溢れた様子を想像してみると、本当に彼女はタイトルどおり幸せだったのだろうと羨ましくなりました。
そして、黒澤明監督の話。
「姿三四郎」(1943年)で監督デビューをしたのが33歳、インタビュアーは早かったですねと言っていました。
私も同感でしたが、野上さんが言うには、当時は遅い方だったらしいです。
この「姿三四郎」について、野上さんは“気持ちのよい映画”と語っていました。
インタビュアーが、それについて聴き返したところ印象的な答えが返ってきました。
“国策映画にしなかった。そういうセリフを要求されても最後まで使わなかった”(というような内容です)
当時の状況の中で、自分の意思を通すことの大変さ、重さを想像してしまいました。
“「続・姿三四郎」(1945年)は・・・”と言って言葉がつまりましたから、こちらの作品は思いが通らなかったのかもしれません。
伊藤大輔監督や山本嘉治郎監督(黒澤監督が助監督として付いていた)、俳優の長谷川一夫さんや大河内伝次郎さんの名前も出てきました。
当時の俳優は別世界の住人という感じでめったに逢うことも出来なかったし、御大と呼ばれていたり・・・。
例えとして“今のスマップどころではない”と言ったのが、何ともおかしかったものです。
明日の朝も続きがあるようですが、疲れてその時間帯に起きられるかどうか自信がありません。
そう言えば、この放送時間の間にも地震情報があり、その度にテープを止めて続きを流してくれました。
今まで、そういう場合にはテープはどんどん先へ進んでいるものと思っていました。
人(お年寄り?)に優しい、柔軟性がある番組です。
黒沢明―天才の苦悩と創造 (キネ旬ムック) |
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