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石原裕次郎さん23回忌

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4日放送の映画「富士山頂」も、昨日(5日)の石原裕次郎さんの23回忌法要の特別番組(テレビ朝日)も録画したままで、まだ観ていません。

国立競技場での法要を知った時には、ちょっと違和感があったものですが、今朝の芸能ニュースで12万人のファンが集まったことを知って、何だかホッとしています。

雨にならなくて良かったですね。

裕次郎さんが亡くなった時、虹が出ているというニュースがあって、とても印象に残っていました。

私が裕次郎さんのファンだったのは彼が20代の頃でした。

正確にはファンと言えるかどうか・・・。

今日のいのち」(1956年)とか「陽のあたる坂道」(1958年)が観たくて観たくてしかたがなかったのが小・中学生の頃でした。

今考えると、相当ませていましたね。

自分で驚いています。

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当時、映画館への出入りは学校から禁止されていましたから、映画雑誌や原作本を何度も見返すことしか出来ませんでした。

裕次郎さんの映画についておしゃべりをしている高校生が、大人に見えたものです。


石坂洋次郎
の本「陽のあたる坂道」は、裕次郎さんをモデルに書き上げたと言われていました。

ですから、映画を観ていなくても、シーンがまざまざと想像出来たものです。

その本に、ボートネックのセーターの裕次郎さんと制服の北原三枝さん(奥様)が肩を寄せている写真を貼って、大事にしていたことを最近のことのように覚えています。

二人がアメリカへ駆け落ちしたことも当時、大変なニュースでした。

今なら考えられないことでしょうが、そのことがあってその後の芸能界の状況が変わったのだと思いますね。

それにしても、映画を観られない時が一番ファンだったのかもしれません。

映画が解禁になっても、あまり観た記憶がありませんし、ましてテレビドラマはほとんど観ていませんから・・・。

ただ、数10年が経過して、テレビで初めて「陽のあたる坂道」を観た時には感動しました。

その時に録画したものが今もあるはずです。

当時の自分を思い出せる、唯一の作品のような気がします。

裕次郎さんのことから自分語りになってしまいました。

石原プロは映画作りを宣言したようですね。

今回、20億円というお金をかけるのなら、映画を作れたのにと思ったばかりでした。

今は、映画作りは低予算で誰でも作れるような、ハードルが低くなってもいるように見えていましたし・・・。

逆に、裕次郎さんのためにも失敗は出来ないというプレッシャーもあったようですね。

石原軍団って、やはり凄いですね。

裕次郎さんへの思いの強さに、それだけ素晴らしい人だったのだろうと改めて思わせられました。

  陽のあたる坂道 

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