淀川長治さん&品田雄吉さん「ラジオ深夜便」
「ラジオ深夜便」3月16日午前1時台
〔わが心の人〕~淀川長治
映画評論家 品田雄吉
淀川長治さんはもちろんのこと、品田雄吉さんの声を聴くのも本当に久しぶりのことです。
品田さんの場合は、雑誌などでの映画評論を読んでいた頃以来のことですが・・・。
番組では辛口の評論家と紹介されていましたが、周りに流されない、キチッとした解説をしてくれる人という印象でした。
淀川さんが亡くなって、12年になるんですね。
去年は生誕100周年が祝われた、とか。
品田さんは北海道出身で、大学時代に淀川さんの講演を依頼してからの、尊敬する先輩としての長い付き合いだったようです。
以前の評論家は、何度も作品を観られる機会が無いので、その記憶力や感性が素晴らしい人が多かった中でも、淀川さんの記憶力は凄かったと語っています。
淀川さんのモットーに「私はまだかつて嫌いな人にあったことがない」がありましたし、テレビの解説ではどんなひどい映画でも良いところを見つけて解説をしていた、という話は有名でしたね。
もちろん、基本的には映画は映画館で観るもの、という考え方があって、テレビの解説は映画館に足を運んでほしいという思いだったわけですが・・・。
日曜洋画劇場 SINCE 1966 40周年記念 淀川長治の名画解説
実際の淀川さんは結構人の好き嫌いがあったし、作品に対しても厳しい批評をした人であったことを、品田さんは愛情を込めて、明かしています。
マルチェロ・マストロヤンニが亡くなったときにインタビューされ、その記者に「それで何歳で亡くなったの?」と聴いたら、相手は答えられなかった・・・
試写室では、待ち時間に読書したりそのほかのことをすることを嫌っていた・・・
品田さんも語っていましたが、それは厳しさではなくて、仕事として当然調べておくべきことだし、向き合い方でしょうね。
2年前まであった淀川長治賞は、品田さんたちが選出し、淀川さんに報告して決定というかたちだったようです。
北野武監督のときは、淀川さんが大変喜んだとか。
授賞式に北野監督が出席し、忙しいのに終了までずっと淀川さんと一緒にいたこと、その敬意のはらい方が品田さんには印象的だったようです。
番組では、「道」(1954年)と「ライムライト」(1952年)についての淀川さんの解説と音楽を聴くことが出来ました。
付けたしではない、結構長い解説で、久しぶりに淀川節に惹き込まれました。
チャップリンの「ライムライト」の撮影現場を観ている淀川さん、生涯の思い出の曲と語っています。
個人的には、あまり好きではなかった「道」を、もう一度観てみようかと思いましたね。
「ラストコンサート」(1976年)の映画上映と同時に、淀川さんの講演を聴いたことがあります。
ステージにチョコチョコ現れた淀川さんは、そこだけ不思議に明るい空気をまとっていました。
「ラストコンサート」は、決して淀川さんの好みの作品ではなかったと思います。
それでも、一期一会を大切にして、明日死ぬかもしれないから、と精一杯心を込めて語り続けた淀川さんを忘れられません。
品田さん、出身地の縁で、稚内のシネコンの顧問のようなものを引き受けているようです。
23年ぶりに出来る映画館は、電波で送られる配信方法がとられるのだとか・・・。
昔は、隣町の映画館からフィルムを運んでいて、途中からの分が間に合わなくて、観客を待たせた、などということがあったものです。
そんな映画館で遊んでいたことを思い出しました。
最後に、品田さんが語るこれからの映画について・・・
今は個人でも作品が作れて、多様化している時代になっている。
映画は観る側の要求に合わせて作られていくものだから、揺れながら進んでいくのではないか、とのことでした。
« 「ボクらの時代」小林旭&浅丘ルリ子&なかにし礼さん(その2) | トップページ | 吉田拓郎さんの歌を明日の糧に「ラジオ深夜便」 »
「ラジオ」カテゴリの記事
- ラジオとの長~い付き合い(2023.01.02)
- 【闘病日記 57】高沢秀昭さん、首位打者から保育士に「ラジオ深夜便」(2022.05.28)
- 【闘病日記 48】ラジオの話(2021.11.15)
- お正月、SMAPの「世界に一つだけの花」を聴く(2019.01.03)
- 東日本大震災から7年(2018.03.11)