「ボクらの時代」小林旭&浅丘ルリ子&なかにし礼さん
「ボクらの時代」“銀幕スターの品格”前編
出演:小林旭(俳優・歌手)
浅丘ルリ子(女優)
なかにし礼(作家)
フジテレビ 4月4日放送
小林旭さんとなかにし礼さんがエスコートするように待ち、その前に真っ白な服で華やかに登場した浅丘ルリ子さん・・・映画の全盛期を思い出させる光景でした。
昭和30年代、映画の黄金時代に小林さんと浅丘さんの共演作は42本。
小林さんは1年に13本の主演、浅丘さんは4本の掛け持ちをしたり、という忙しさだった。
浅丘さん、今観ても自分たちは眠っていなくても本当に一生懸命に映画を作っていたなあ、と振り返ります。
浅丘さんのデビュー作「緑はるかに」(1955年)を小林さんもなかにしさんも観ていて、憧れであった、と・・・。
当時噂になっていた、二人の間の恋愛感情を肯定しています。
小林さんは、「実際にそういう気持ちで演技をしていた」と・・・
浅丘さんも、「嫌いな人とずっと長くはやれない。明日又逢えると思うと楽しかった」と・・・
「いまだに好きです」「私も・・・」と言いあった二人です。
当時の映画作りについて・・・
スタッフに映画への愛情があり、命を賭けていた。
労働組合が出来たことで映画が弱体化、創造の世界にはそれは合わないものだと語ります。
当時のマスコミについて・・・
雑誌記者なども優しく、公私を分けてくれたので良い付き合いが出来ていたようです。
その関係が崩れたのは、ある記者の大川橋蔵さんへの裏切り行為から、と小林さんがちょっと怒りを見せていたのが印象的でした。
豪快なエピソード・・・
明日休みという夜、石原裕次郎さんに車で京都まで連れて行かれた。
裕次郎さんの定宿に泊まり、勝新太郎さんや萬屋錦之介さんを呼び出し、どんちゃん騒ぎ。
帰りは夜行列車で東京へ帰り、撮影へ。
いつも裕次郎さんは怒られず、小林さんが怒られていた。
「だから、いつも遅れてきたんだ」と浅丘さん。
年末には裕次郎さんと熱海へ・・・
当時熱海には芸者が800人もいて、それをとりっこした、とのこと。
製作部の若い人が間に入って、その調整に大変だった。
やんちゃそのものだったと、当時を振り返っています。
裕次郎さんとの交遊話は意外でした。
当時、一気にスターとなった裕次郎さんと、演技を評価されながら下積み時代があった小林さんでは、相容れないものがあったように感じていましたから・・・。
なかにしさんは小林さんと同年齢。
新婚旅行先の伊豆で裕次郎さんと出会い、作詞家になることを勧められて現在に至っています。
後に、自分の言葉を真に受けて訪ねて来たのは八代英太さん(政治家)と二人だけだと言われたとか。
裕次郎さんの最後の曲「わが人生に悔いなし」を作詞。
その前に30曲以上裕次郎さんの曲を書いているがヒットしなかった。
ファンになり過ぎていたり、位負けしてしまっている相手のヒット曲はなかなか書けないようです。
日活時代、どうしても女優は刺身のつまのような役が多かった。
その中で、浅丘さんは「憎いあンちくしょう」(1962年)で高い評価を受けます。
そのとき21歳、いかに大人っぽい役をさせられ続けていたかがわかります。
浅丘さんと言えば、「寅さんシリーズ」のマドンナ役を最多の4回演じています。
なかにしさんがそれをとても評価し、浅丘さんも寅さんと唯一相思相愛だったことをちょっと誇らしげで、嬉しそうでした。
来週は、恋愛、結婚、離婚、借金のことが語られるようです。
特に小林さんが美空ひばりさんとの結婚の真相を語るそうですが・・・。
関連記事です。
言葉の味、話の味~小林旭さんたち、銀幕スターの品格「ボクらの時代」
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