加山雄三さん・永遠の若大将(2)「ラジオ深夜便」
「ラジオ深夜便」6月9日・午前4時台〔インタビュー・スペシャル〕
永遠の若大将~デビュー50周年(2)
俳優・歌手 加山雄三
2日目は、会社の倒産と結婚、そして現在の話・・・。
加山雄三さん、33歳になって会社が倒産し、多額の借財を負います。
母親の死もあって、辛い時期を迎えていました。
当時、大変なニュースでしたね。
俳優としては大変な人気者だっただけに、表面的にはにっこり笑って、心で泣いて、という状況だったと・・・
表現することの辛さを感じて、正直に生きられたらどんなによいか、と思ったそうです。
倒産と同時時期に、結婚・・・。
事件として扱われ、記者に罵倒されたこともあったのだとか。
当時の記事を今も残してあるそうです。
明日食べるためのお金も無い、そんなときに安らぎを持って、頑張りたいと思っていたのに、と語っています。
確かに、当時は良い書かれ方をしていませんでしたね。
債権者に土下座して謝ったりもしたそうです。
ほとんどの人間が去っていった中で、残ったのが奥さんと学生時代や海の友人たちとのこと・・・。
今、本当に彼を思ってくれる人たちに囲まれて、確かな幸せを感じているのでしょうね、とつい思ってしまいました。
その苦難の時代の話にたびたび出てきたのが、おばあちゃんの話です。
子供の頃、一緒に山ごもりをして修行をしたおばあちゃん・・・。
「荷が重いのではない。自分の力が足りないのだ」
「損と得、どっちを選ぶ?私だったら損を選ぶ。得は後からついてくるんだからね」
“夜に考えないで、朝起きたと同時に頭の中で望みを唱える。毎日が新しいスタート、過去もこれから起きることも、ここ一点にある”
辛い時代を、おばあちゃんの言葉を支えにして、乗り越えてこられたようです。
最悪の状況の中で、結婚した奥さん(元女優・松本めぐみ)。
酔っ払って悔しさで泣く加山さんを、静かに励ます感動的なエピソードが語られています。
どんなに支えとなってきたことだろう、そのことがわかりました。
当時、なぜそれほど人気女優でもなかった彼女なんだろう、と思ったりしたことを申し訳なく思いますね。
家庭人として、父親としての自分に自信を見せていたのが、ちょっとおかしかったですね。
4人の子どもがいて、仕事が無かった頃も、全力投球で育児の手伝いや教育をしていたようです。
お金が無いときに、手作りのカードをプレゼントをした話などでシンミリさせられました。
苦難の時期を乗り越えての今・・・
59歳で始めた絵画は我流で、若いときには写真のような絵を描いていたそうです。
メトロポリタン美術館のピカソ・ダリ展に行ったときに、奥さんが「ああ、ピカソって本当に絵が上手かったのね」と言った話を紹介しています。
若いときのピカソは写真のような絵を描いていたんですね。
最初はまず写真のような絵を描かなければならない、ということのようです。
陶芸の素晴らしさは、「徹子の部屋」(テレビ朝日)で紹介された、と石澤典夫アンカーが話し出して驚きましたが・・・。
一流の料理の腕があり、鉄道に関しては音だけで種類を言い当てられるのだとか。
多方面にアンテナを張っていると、そちらの道が開けてくる・・・債権者を恐れていた頃からの知恵のようです。
これからのことを聞かれ・・・
この一点にあり、という生き方、目の前にあることを全力で、と答えています。
そのパワフルで前向きな考え方、生き方に、感じることが多いインタビューでした。
それにしても、最初から最後まで、よく響く声で早口で、疲れを知らないおしゃべりに圧倒されるばかりでした。
今、船の燃料を水素にする、エコシップの設計をしている、とか。
やはり、並みの人間では敵わない、スーパーな人ですね。
この2日間、印象に残るコメントがたくさんありました。
別ブログに載せていますので、よろしかったらお訪ねください。
言葉の味、話の味~加山雄三さん・デビュー50周年インタビューより「ラジオ深夜便」
1日目の記事 ⇒ 加山雄三さん・永遠の若大将(1)「ラジオ深夜便」
関連記事 ⇒ 加山雄三さんの歌づくし 「ラジオ深夜便」
加山雄三を検索
« 加山雄三さん・永遠の若大将(1)「ラジオ深夜便」 | トップページ | 探査機“はやぶさ”の帰還「クローズアップ現代」 »
「ラジオ」カテゴリの記事
- 東日本大震災から7年(2018.03.11)
- 藤岡弘、さんの生き方 「ラジオ深夜便」(2018.01.04)
- 「ラジオ深夜便」萩本欽一の人間塾 ゲスト:中井貴一さん(2017.12.17)
- 「ラジオ深夜便」作家・柳美里さん(2017.03.10)
- 「ラジオ深夜便」SMAPの歌で紅白が終わった(2017.01.06)