河瀬直美監督、なら国際映画祭を語る「ラジオ深夜便」
「ラジオ深夜便」7月24日・午前4時台〔明日へのことば〕
世界に発信!なら国際映画祭
映画作家 河瀬直美
河瀬直美監督について・・・
『萌の朱雀(もえのすざく)』にて、1997年カンヌ国際映画祭カメラドール(新人監督賞)を史上最年少で受賞。
2007年に『殯(もがり)の森』が審査員特別賞、昨年は映画祭に貢献した監督に贈られる「金の馬車賞」を受賞、とカンヌ国際映画祭に関わりの深い監督です。
現在、奈良在住の41歳。
8月25日~28日に初めて開催される「なら国際映画祭」のを実行委員会会長を務めています。
30代中心のスタッフとともに、あと1ヵ月後の開催をわくわくというよりもドキドキ気分でいると語っています。
なぜ奈良なのか?という問いには、まず河瀬監督の作品で描かれる奈良(例えば茶畑など)に行ってみたいという声があること。
そして、意外にも奈良はどこにある?と言われることがあるということ。
快適なあまりに、逆に外へ向けて発信してこなかったのではないか、と語ります。
平城遷都1300年ということもあるけれども、そのときだけのイベントではなく、続けていけるものとして考え、奈良の良さを発信する良いチャンスと考えているようです。
この不況の時期の開催ということでかなり苦労があるようです。
今回はふるさと基金などの支援があってのようですが、長く続けていくことを考えれば、行政の支援が不況で変わることを心配しています。
スタッフは、あえて雇用したり、ボランティアやサポータークラブのことなど、かなり細かな体制作りを考え実行しているようです。
映画祭の内容の一部も語っています。
古い町家で学生の映画を上映したり、若い作家でグランプリを競わせ、受賞者には奈良で映画を撮る権利を与える、など・・・。
この映画祭のために、奈良の映画を2人の監督(日本、中国)に撮ってもらったようです。
地元の人たちが映画に出演してくれたり、中には1週間も自宅を貸してくれたり、とその協力に、フィルムコミッションを作って、世界の映画の誘致が出来るのでは、と・・・
奈良の自然に慣れすぎていて、太陽も月も1300年前の景色が今も見られることを今更のように気がついた、とも語っています。
中国の監督の作品には桃井かおりさんが出演・・・。
桃井さん、この取り組みに共感して、本人が直接O.Kを出してくれたとのこと。
オープニング上映のときには、ライトアップされた興福寺の階段に敷き詰められたレッドカーペットを、桃井さんと河瀬監督が歩くそうです。
奈良へのこだわりについての問いに・・・
「こだわるとは別のものに対して執着するという感じですけど、自分にとって奈良は自分の中に存在しているんで“ここにある”という感じ。右手がここにあるのと一緒で、奈良がここにある。ですから、そこで表現しないことのほうがおかしいくらい」と・・・。
東京へ出ないことについて・・・
「東京の空気の中では、みんなが閉ざしていないと生きていけないくらい人が多かったり、情報が多かったり・・・自分は閉ざすのが嫌なんです。奈良はそこに存在していること自体開放していることになるので・・・その奈良に自分は育まれている感じです」
映画で家族を描くことについて・・・
河瀬監督は両親が離婚して、母親のおばさん夫婦の養女として育っています。
特に不満は無いけれども、両親に触れ合えなかったことで、こうあればいいなという家族をテーマとしている、と語っています。
この多忙な日々の中で、2本の作品を撮り上げています。
1本は、飛鳥地方を舞台にした『朱華(はねず)の月』で、染色に携わる女性と木工作業の男性との心の交流を描いたもの、とのこと。
古代から続く“人が待つ”ということ(今は待たない時代だけど)、奈良の人の営みの豊かさを描いているそうです。
公開は、来年。
2本目は、お産をテーマにしたドキュメンタリー『玄牝(げんぴん)』。
「玄牝」とは「万物を生ずるもと」という意味で、中国の有名な思想家、老子の言葉。
自然分娩で2万例をとり上げてきた80歳の医師を追っていて、“命は繋がっていく”がテーマのようです。
こちらの公開は、今秋。
自然体を言いながら、繊細で、パワフル・・・圧倒されて聴いていましたが、「考えて考えて、当たって当たって、どうにもならないことはどうにもならないって、ちょっと休んだりします」との言葉にちょっとホッとしたりしました。
こちらに、印象的なコメントを載せています。
⇒ 言葉の味、話の味~河瀬直美監督、“ここにある”ということ「ラジオ深夜便」
それにしても、監督の作品のタイトルは難しくて深いですね。
ちょっと調べてみました。
・殯(もがり)とは
貴人が死んでから本葬するまでの間、遺体を仮に納めて置いたこと。また、その場所。
映画の中では、「敬う人の死を惜しみ、しのぶ時間のこと/また、その場所の意」と説明されている。
・朱華(はねず)とは
庭梅(或いは庭桜)または石榴の花の古名。
朱華(はねず)色とは、鮮やかな朱色に近いオレンジがかった薄い赤色のこと。
万葉集には4首に登場。朱華(はねず)色に染色された衣服は、灰で洗濯すると色落ちがすることから、「はねず色」は移ろいやすい心を導く枕詞として使われるようになったと考えられている。
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