探検家・松浦武四郎のこと「ラジオ深夜便」
「ラジオ深夜便」1月7日・午前4時台〔明日へのことば〕
私が松浦武四郎から学んだこと
松浦武四郎記念館 山本 命
松浦武四郎という人のことを初めて知りました。
伊勢の国(現在の三重県)に生まれ、幕末から明治にかけて活動した探険家です。
語るのは松浦武四郎記念館に勤める山本さん。
その静かながら、熱い語り口に惹かれて聴いてしまいました。
学芸員を希望していて、難関を突破して就職できたことが縁のようですが、次第に彼の人となり業績を探ることにのめり込んでいった様子が伝わってきました。
武四郎という人は、沖縄(当時は別の国)を除いて、日本全国を歩き回った人なんですね。
“野帳”と呼ぶ小さなメモ帳を持ち、その土地の情報を記録し、スケッチもしたり・・・
特に蝦夷地は6度も探検しています。
林子平のように、ロシアが日本を狙っているという考え方で、まずどこからどこまでが日本の範囲なのか、とすべて歩いて調べて回っています。
間宮林蔵のように幕府の用ではなく、あくまで個人の意思での行動とのことです。
“北海道”の名付け親とも言われています。
“アイヌ民族が暮らす広い大地”との意味ですが、当時は“北加伊道”とし、熱田神宮の由緒により“東の方に住む、大和に従わない加伊”としていたようです。
加伊とは、アイヌ民族自身の呼び名とのこと・・・。
武四郎は、伊勢の郷士の四男として生まれています。
伊勢街道沿いでお蔭参りに遭遇していたことに影響を受け、師に教えをこい、なぜか十代で骨董品を集めては捌いていたようです。
16歳で、家や師の骨董品を内緒で売ったりしたことで、江戸へ向けて家出をしています。
その後、日本全国を旅するようになります。
家出をするときに友人に、日本はもちろん中国やインドまで行くかも知れない、との内容の手紙を送っています。
鎖国の時代、外国へは行けず、長崎で(当時26歳)外国の情報を得ています。
蝦夷地の探検は、28歳から41歳まで。
アイヌ語を覚え、アイヌの人々と寝食をともにしての探検で、彼らの信頼を得ています。
著書「石狩日誌」には、彼らが理不尽に労働を強いられたりしていることなども書き記されているようです。
ここの話で、インタビュアーが「ジャーナリストのようですね」と・・・なるほどと思いましたね。
武四郎の情報は、幕末の勤皇の志士たちの共感を呼び、吉田松陰などと広い交流を持っていますが、宇和島藩など各藩からも情報提供の要請を受けていたのだとか。
現在では、ドナルド・キーンなど海外の研究者にも注目されているようです。
武四郎は、晩年も全国を歩いていましたが、68歳の時に畳み一畳の書斎を作ります。
全国の縁のある寺院などから送ってもらった材木で作ったもので、そこで情報の整理をして過ごしたようです。
その一畳敷きの書斎は、現在も三鷹市国際キリスト教大学の敷地内の庭園に残っているとのこと。
いろいろな山にも登っていて、70歳には富士登山をし、71歳で亡くなっています。
学芸員の山本さんが、最後に強く語ったことは・・・
一生かかっても調べきれない資料があり、裏幕末史とも言えること。
150年前に、アイヌの人たちの人権を守ることに取り組んだ人である、ということ。
松浦武四郎という名前を知ってもらうことで、更に多くの資料が出てくると思っている、と。
この歳になって、松島武四郎のことを知ったのも新鮮でしたが、山本さんの静かなトークに、武四郎に対する仕事を超えた想いを感じましたね。
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