地震に関する個人的な報告です。
“東北地方太平洋沖地震”という名称を今初めて確認をしました。
私は被災地(仙台)に住んでいます。
幸いなことに、怪我などはありません。
今朝、避難所から帰宅したところでした。
家の中は惨憺たる有様ですが、パソコンは無事でした。
思い返せば、パソコンの前にいて地震にあったのでした。
たった2日前のはずなのに、なぜか遠い昔のことのように感じます。
あの時の恐怖心を遠ざけたいという思いがあるのかもしれません。
災害の真ん中にいると、被災の状況は意外にわからないものですね。
昨晩電気が点いて、避難所のテレビを観て愕然としてしまいました。
ラジオでは聴いていたのですが・・・。
メルマガを何件か購読しているのですが、すべてにお見舞いと、被災した場合の対処法などをこと細かく書いてありました。
皆さん、真剣で心がこもっていて、有り難いと思いましたね。
避難所を出た時に、たぶん町内会の人だと思うのですが、いろいろお世話をしてくれた“明星チャルメラのおじさん”に似た人が声をかけてくれました。
我が家の場合、水道とガスは大丈夫だったのですが、電気が通じていませんでした。
その電気も昨夜通じたので、不安を抱えながらの帰宅だったのですが・・・。
「あとは自分の精神状態だけですね」と言ったら、おじさんは満面の笑顔で、「頑張れ!」と返してくれました。
荷物(みんなの食材?)を持っていたせいで、片手で力強いガッツポーズを作りながら・・・。
嬉しかったですね、本当に不安でしたから・・・。
こんなふうに人のために働ける人に、特に今回は本人も被災したでしょうに、本当に頭が下がります。
避難所では初めての人たちと会話をしたり、助け合ったり・・・
悲惨な状況の中にも、ちゃんと優しさがあることに救われました。
避難所からの帰りに見える光景はいつもと変わらず、とても大地震にあった場所とは思えませんでした。
綺麗な青空に、気温も15度の予想でしたし・・・。
家の後片付けの途中に、自販機を探しに出かけ、やっと飲み物を手に入れました。
ついでに近くの公園に寄ってみたら、いつもと変わらずに遊んでいる親子たちの光景がありましたね。
でも、実際は、すぐ近くの保育所に避難をしていた人たちでした。
あの恐怖の体験が、子供たちの心の傷にならなければ良いのですけど・・・。
その後、近くの繁華街(長町商店街)に出かけたのですが、こちらは道路に段差が出来ていたり、建物の壁が崩れていたり、と大変な状況でした。
何とか開いてる店には、長い行列が出来ていましたね。
我が家は何とかあるもので凌ごうと思っています。
未だに実家(震度7の栗原市)や姉妹との連絡が出来ていません。
自分なりに出来ることはやってみたつもりなのですが・・・。
あとは祈るしかない、と近くの神社に立ち寄ってみました。
犠牲になった人たちの多さに何とも辛いです。
孤立している人たち、不明と言われる人たちの、一人でも多くの人たちが助かりますように・・・。
パニック状態からまだ抜けていないのか、これまで以上にだらだらととりとめもない文章になりました。
私は、被災者の中でも恵まれた一部の人間です。
避難所の中でも、いろいろな話を聞きました。
どうか、被災された方を心にかけて欲しい、見守って欲しい、と願っています。
被災された方に、心からお見舞いを申し上げます。
三日以内にマグニチュード7を超える可能性が70パーセント以上とのこと、充分に注意したいですね。
これまでは頻繁に更新していたこのブログも、後片付けなどでしばらくお休みするようになると思います。
出来るだけ、早い機会に再開をしたいと思っていますので、よろしくお願いいたします。
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