「ラジオ深夜便」三宅裕司さんインタビュー
「ラジオ深夜便」6月1日、2日・午前4時台〔インタビュー・スペシャル〕
笑いこそわが人生のテーマ(1)(2)
喜劇俳優 三宅裕司
三宅裕司さん、5月で60歳の還暦を迎えています。
現在公演中の「こんにちは赤ちゃん」はその還暦を祝って、とのこと。
幼い頃から喜劇俳優を目指していて、落語や日本舞踊など、自然にそのような環境にもあったようです。
幼稚園時代からテレビがあったのは父親がテレビを手作りしていたから、など意外な驚くようなエピソードも語られています。
大学時代は落研、その後もラジオのパーソナリティーや劇団結成など、喜劇俳優への道を迷わず進み続けたことがわかります。
素敵な職業で、ずっと目指してきた方向性は間違いはないと自信に溢れた言葉も・・・。
特に東京の笑いにこだわり続けています。
現在、関西の笑いが中心になっていて、そちらも好きと断りながら、東京のお笑いの魅力を熱く語っています。
スマートで、粋で、落語的センスがあること・・・
音楽のレベルが高く、アクションも見せて、大ボケをしてずっこけた時の落差の大きさ・・・
お客さんいじりやCMネタ、下ネタ無しは、三宅さんが台本を書く時の姿勢のようです。
また、アドリブはほとんど無く、それっぽく見えるような台本を書いている、と・・・。
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憧れの人たちとして、音楽をやっている人がテンポ感があっていい、とクレージーキャッツ、グループサウンズの堺正章さんや井上順さんの名を挙げています。
又演技者としては、落差のある演技が出来る人として、伊東四朗さんや西田敏行さん。
落語家は、古今亭志ん朝師匠の間、嫌味の無いサラッとした口跡が好きで、学生時代よく真似をしていた、とのこと。
又、師匠と仰ぐ伊東四朗さんの魅力を紹介しています。
浅草で身に着けた東京コメディをやれる人、同じように落語が好きで波長が合う、とのこと。
リハーサルの前にセリフを覚えてくる、セリフを勝手に変えたりしない・・・
書き手の苦労を知っているからこそ、そのセリフでどのように演技をするかを考える人。
座長になっても、決して前に出たりしない人。
“キレのいいずっこけが出来るうちにコメディをやっていたい”という姿勢を持っている人。
伊東さんからの印象的な言葉として・・・
“昔のコメディアンは、歌手より歌が上手く、ダンサーより踊りが上手くなければいけない、と(先輩方に)言われた”
それを聞いて、東京のコメディをちゃんと作らなければと思った、と三宅さん。
三宅さんの尊敬を込めた話に、強面の伊東さんの違う顔を見た気がしました。
一緒の舞台「伊東四朗一座旗揚げ解散公演」(2004年)と「熱海五郎一座」の話題では、伊東さん不在の時の“熱海”“五郎”命名の洒落には笑いました。
2日間のインタビューの間にも何度か触れていた、東日本大震災とお笑いのこと。
この時期にお笑いは必要か?との質問に・・・
“赤ちゃんはなぜ笑うのか、それは生まれてたくさんの人に愛されて育っていくように、本能で笑顔にしているんだ”と例えながら・・・
日本を立て直していくために、辛い作業が続いていく。
一方で、心を休めること、心にゆとりやケアが、今だからこそ必要。
みんなで笑うことで、一人じゃないという仲間意識が出て、寂しさを紛らし、活力も沸いてくる、と・・・。
三宅さんには、知る人ぞ知る、超天然と言われる奥さんがいますね。
あちこちで楽しいエピソードが語られていますし、もちろん三宅さん自身も愛情を込めて語っているのを何度か聞いたことがあります。
その奥さんが被災地に炊き出しの手伝いに出かけていたことを、番組内で明かしています。
奥さんは “(被災地の人たちは)いっぱい来ている人たちに、有難うと言うことにちょっと疲れているようだった” と語ったそうです。
2日間、番組を聴いていて、この言葉が一番耳に残りました。
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