芦川いづみさん「キネマ旬報」インタビュー
たまたま図書館で「キネマ旬報 6月上旬号」をパラパラめくっていたのですが・・・
思わず腰を落ち着けて読んでしまいました。
元女優の芦川いづみさんへのインタビュー記事が載っていたからです。
日活創立100周年を記念しての企画のようでした。
インタビュアーは評論家の川本三郎さん。
芦川さんは憧れの女優さんで、長い間インタビューを切望していたにもかかわらずこれまで叶わなかったようですね。
その思いが伝わるようなインタビューでした。
正直、現在の芦川さんがどのような容貌をしているか、というミーハーな気持ちで読んでしまったわけです。
残念ながら、写真は当時のものだけでした。
でも、どこかホッともしましたが・・・。
そのあたりを条件に入れてのインタビューだったんでしょうね。
さすが銀幕の女優さんだ、と思ったものです。
芦川さん、本当に清楚で可愛らしい女優さんでした。
個人的に好きなのは、「陽のあたる坂道」(1958年)での石原裕次郎さんの妹役です。
当時、日活の女優さんは若くて、やはり意気のいい男優さんの添え物的な役が多かったのですが、それでも輝いていましたね。
陽のあたる坂道
戦後の日活の状況は一変したようで、その分古いしがらみなどもなく生き生きとして自由な感じがしました。
裕次郎さんを代表にして・・・。
“食堂がガラス張りで、いつも誰がいるんだろう、と思ったりしたので、あの食堂と緑の芝生が思い出として残っています”
インタビューで、芦川さんはそう答えていました。
情景が浮かんできますし、芦川さんもとてもいい時間を過ごしたのだろう、と想像できて、なぜか懐かしく、ちょっと嬉しかったものです。
インタビューの中では、女優となるきっかけとなった川島雄三監督のこと、そのいきさつや演技指導、そして「幕末太陽伝」(1957年)の撮影当時のこと、などが語られています。
インタビューの席に、当時から親交が続いているというスタッフ(録音)橋本文雄さんも同席するという、やはり元女優にふさわしい雰囲気でした。
橋本さんが話を引き取って語っていることも多かったですね。
芦川さんの受け答えが、少しは採録の関係があるのかもしれませんが、“ございます”と丁寧だったことも印象的でした。
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あまり他の俳優さんについては触れなかったのですが、“裕ちゃん”とか“ルリちゃん”という呼び方が出てきて、何とも嬉しかったものです。
結婚と同時に引退しましたが、以前から(藤竜也さんと巡り合う前から)そうすることを決めていたと語っていました。
“家庭を持つことは一から始めることだから・・・、女優も一から始めたので、自分には両立することはできなかった”
そう語る芦川さん、イメージそのままでしたね。
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