ピーター・オトゥールさんと「アラビアのロレンス」
イギリスの俳優、ピーター・オトゥールさんが亡くなりました。
ピーターさんと言えば、やはり思い出すのは「アラビアのロレンス」(1962年)ですね。
当時まだ無名で、だからこそ、その清潔感とどこか中性的な感じが衝撃的でした。
もちろん、舞台俳優としての演技力を見込まれての起用に他ならなかったのでしょうが・・・。
ベドウィン族の歓喜の声に囲まれ、彼らの白衣を着て、横倒しになった列車の上に乗ったり、崖の陰でひとりその自分の姿に恍惚となっていたり・・・。
そんな絶頂期から、後半は意のままにならない部族や各国の思惑に振り回されて、絶望のまま砂漠の地を去っていく・・・。
その間に、ストーリー的にも映像的にも、何ともスケールの大きな劇的なシーンが展開される作品でした。
映画の中で、白い服を着たロレンスが、記者に向かって“砂漠は清潔だ” というようなセリフがありましたね、たしか。
理想を求め、野望に燃える青年の何とも涼やかな感じが素敵でしたね。
この作品があまりにも素晴らしかったので、その後しばらくは苦労をしたと言われています。
その頃観たのが「ロード・ジム」(1965年)でした。
伊丹十三監督が、当時 “一三”の名前で俳優として出演していたのを、今思い出しましたね。
オードリー・ヘップバーンと共演した「おしゃれ泥棒」(1966年)もありました。
そんな苦難の時代の作品を結構観ているのは、それほど「アラビアのロレンス」のインパクトがあって、こちらも引きずっていたということでしょうね。
「アラビアのロレンス」は、私が“映画に不可能は無い”と思えた作品でした。
今なら、そう難しくなく撮影出来るのでしょうが・・・。
デビッド・リーン監督の凄さに、その後も彼の作品をずいぶん追いかけたものです。
当時70ミリということで、映画館はいっぱいでしたね。
地方都市なので、正確には70ミリではなかったと思いますが・・・。
今70ミリってどうなっているんでしょうか。
映画館の壁にもたれて、それも最前列で観ていたのですが、ロレンスが砂漠の中の鉄道を爆破するシーンでは、その砂を巻き上げた爆風がこちらに向かってくるようで、思わずのけぞったものでした。
3Dなどがまだ無い時代の話です。
正直、「アラビアのロレンス」と言うと、これまではアンソニー・クエイルを思い出すことが多かったのです。
ラストシーンで、絶望で抜け殻のようになって砂漠を去るロレンスを一人見送る役でした。
そのシーンでの表情が忘れられません。
痛ましさと、最後まで理解できなかった(してやれなかった)哀しさと、様々な思いがあの丸い顔に現れていましたから・・・。
これからは、ピーター・オトゥールの作品として思い出すでしょうね。
もう一度ゆっくりビデオ(持っているのはビデオだけ)を観直したいと思っています。
ご冥福をお祈りいたします。
« 「八重の桜」最終回“いつの日も花は咲く” | トップページ | 「ラジオ深夜便」仏教詩人・坂村真民さん »
「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事
- 【闘病日記 59】コロナ発症抑制剤エバシェルド注射を受ける(2023.01.31)
- 童門冬二著「小説 上杉鷹山」を読む(2022.12.16)
- 佐伯一麦著「空にみずうみ」を読む(2022.11.20)
- アンディ・ウィリアムスの「ソリティア」を聴く(2022.11.01)
- 【闘病日記 59】朝顔が咲いた!(2022.09.08)
「 作品タイトル~あ行」カテゴリの記事
- 【闘病日記 47】朝ドラ「おかえりモネ」が終わって・・・(2021.11.01)
- 【闘病日記 44】「おかえりモネ」寄り添う(2021.09.12)
- 【闘病日記 42】「おかえりモネ」人のため(2021.08.05)
- 【闘病日記 41】「おかえりモネ」迷う時間(2021.06.26)
- [NHK俳句増刊号」渥美清さんの句(2020.03.31)