「ボクらの時代」妻夫木聡&吉岡秀隆&杉田成道さん
「ボクらの時代」“妻夫木聡×吉岡秀隆×杉田成道 ケンカするほど愛が生まれる”
出演:妻夫木聡(俳優) 吉岡秀隆(俳優) 杉田成道(演出家)
フジテレビ 7月6日、13日放送
始まりから、ナレーション(小林聡美)も吉岡秀隆さん本人も“最初で最後の出演”と・・・。
貴重ですから、身を乗り出すようにして過ごした時間でした。
ほとんど採録のようなものですから、この記事は長くなります。
かつて無い長さです。
正直、吉岡さんへの想い入れが無いと、読み続けられないかもしれませんので、悪しからず。
吉岡さんと杉田成道さんは、「北の国から」(1981~2002年・フジテレビ)以来35年の交流があるとのことで、懐かしいドラマの映像が流されました。
あの純くんの顔と声が、まるで昨日観たような印象で蘇りましたね。
妻夫木聡さんと吉岡さんは、映画「小さいおうち」(2014年・山田洋次監督作品)で初共演。
現在放送中のドラマ「若者たち2014」は杉田さんの演出で、二人が共演しています。
それにしても、よく吉岡さんをここに引っ張り出せたなあという思いがなかなか消えませんでした。
トークの口火を切ったのは、妻夫木さん。
にこやかで屈託なさそうに見えて、とても気遣いのある人だと、その時点で感じたものです。
妻夫木さんが山田洋次監督や倍賞千恵子さんから聞いたという、吉岡さんは酒を飲むとアクティブになるらしい。
イメージを裏切るような話題から始まりました。
吉岡さんの口からは、倍賞さんには食事の誘いがあり、山田監督の家では酔って眠ってしまった話が詳しく語られます。
“後藤久美子さんがスイスから帰っているから、一緒に食事を”と監督から誘われたのがきっかけとのこと。
その時点で、後藤さん(「男はつらいよ」で共演)といまだに交流があることに驚かされましたけど・・・。
マスコミが表面的に華やかな部分で騒いでいるのとは違うところで、監督も含めて仕事仲間として、地道に大切に交流が続いていることに何とも言えない好もしさを感じたものです。
飲み足りなくて監督の家に行き、奥さん(亡くなっているんですね)に線香をあげていたら、後ろに紫色のガウンを着た監督がシャンパンとワインを持って立っていた。
気がついたら、ベッドとベッドの間に寝かされていた。
“「小さいおうち」の撮影中で、溜まっていたんでしょうね”と楽しそうに語る吉岡さんでした。
こんなに明るく屈託なく話をする人だったんですね。
男はつらいよ ぼくの伯父さん [渥美清]
妻夫木さん、二人の作品を観ていた自分がここにいる不思議な感覚を語っています。
「若者たち2014」では、吉岡さんを壁にぶつけるシーンを何度も繰り返させられたと、杉田監督の演出の厳しさを・・・。
吉岡さんの胸が赤くなっているので、辛かったようです。
そんな優しい妻夫木さんを“怒んないよね。前から思っていた人の良さ。壁の無い感じは何だろう”と語る吉岡さん。
富山の映画館に舞台あいさつに行った時のエピソードを紹介してくれました。
前室のホワイトボードに妻夫木さんのお礼の言葉が書かれていたそうです。
“スタッフが大事に取っていたものを、思わず消そうとしたよ”と笑う吉岡さん。
この後、吉岡さんから妻夫木さんを“尊敬する”という言葉が頻繁に出てきましたね。
ちなみに、吉岡さん43歳、妻夫木さん33歳です。
杉田監督の厳しい演出のエピソード。
「北の国から」でマイナス20度なのに川の中に落とされた小学生の吉岡さん(映像あり)。
氷の上に着地したらその氷を割られた、と・・・。
吉岡さんの台本には“(監督)死ね、死ね”と書かれていたと、杉田監督が打ち明けました。
衝撃だったのが、未公開シーンとして13日(続編)で紹介されたシーンでした。
吉岡さんが“役者さんが壊れた瞬間を見た”と語っています。
「北の国から'87 初恋」で、純の友達・中津役の永堀剛敏さんへの追い込み方でした。
朝二人が食事をしていたら“お前よく飯なんか食えるな“とテーブルを蹴る監督・・・
吉岡さんは黙々とハムエッグを食べたが、永堀さんはカタカタと震えていた。
昼食も抜きで、畑にぽつんと立たせられ、トボトボ降りてくる芝居をさせられた。
頭は真っ白になっていて、いきなり両手をあげて明るく部屋に入ってくる永堀さん(映像あり)。
こちらも切なくなりましたが、そう言えばその後彼を観ていないような気がするんですが・・・。
気になって永堀さんのことを調べてみました。
現在も活躍しているようで、ホッとしました。
「北の国から」のオーデションでデビューして、その後廃業したものの、杉田監督の依頼で復帰して現在に至っているようで、更にホッとしたものです。
吉岡さん、“監督は、俳優が壊れる、その先に何かがあると信じている” と・・・。
妻夫木さんは、“そんな姿勢が嫌いじゃない” と・・・。
吉岡さん、それを受けて“偉いよ。(僕は)嫌だもの”と語り、益々10歳下の後輩への尊敬が増していくようでした。
性格が良くて順風満帆で、何の問題も無くこれまで来たと思える妻夫木さん。
「ブラックジャックによろしく」(2003年・TBS)で、どうしても泣く演技が出来なかったときのことについて語っています。
控室で父親に電話しても何も言えなかったけど、“大丈夫だよ。お前はやれるから”と言ってもらえたとのこと・・・。
吉岡さんが絶賛する妻夫木さんの性格の良さは家族が作ったものだと思えたものです。
ブラックジャックによろしく DVD-BOX
杉田監督は「北の国から'89 帰郷」の頃、明石家さんまさんとの対談で“吉岡は埼玉で、髪を染めて暴走族をやっている”と語ったらしい。
芸能界は恐ろしいと吉岡さん、今もバイクは好きで、5年ぶりで北海道ツーリングをしたようです。
目的も理由も無く、移動している空間が好き、仲間が出来るし、と語っています。
妻夫木さんから、杉田監督の作品は家族をテーマにしたものが多いと・・・。
それも貧乏な家族の話、とは吉岡さん。
監督からは、ぶつかることで生まれる絆があるから、との理由が明かされました。
そこから、それぞれの家族環境と俳優となった経緯まで・・・。
妻夫木さんからは、兄弟仲が良いが、受験勉強と理不尽な兄のエピソードを楽しく・・・。
吉岡さんからは、姉二人がいて可愛い可愛いと育てられ、二人に隠れて引っ込み思案だったことで劇団へ入らせられたこと。
吉岡さん、20歳までは俳優を辞めたいと思っていた、と・・・。
物心つく前から「北の国から」の純くん、「男はつらいよ」の満男君として見られ続けたことの苦しさを語っています。
“自分がどんどん死んでいく感じが苦しくてね” と・・・。
辞めるしかないと考えたときに、「八月の狂詩曲」(1991年・黒澤明監督作品)のオーディションに誘われて、そこからモノ創りの面白さを知ったようです。
出番が終わっても、1ヶ月の長崎ロケに“一緒に来なさい”と黒澤監督に言われ、照明部の手伝いなどをして楽しかった、と・・・。
撮影現場に杉田監督も訪ねていて、大きな黒澤監督の背中に“あれが世界の黒澤か。俺の背中とどう違うんだよ”と言ったことを吉岡さんがバラしています。
周りが“全然違う!”と反応したことも・・・。
妻夫木さんは、俳優を辞めたいと一度も思ったことがなかった、と語っています。
高校時代バンドのボーカルをやっていたが、俳優と音楽、どちらかを死ぬ気でやらないといけないと思ったようです。
何をやっても長続きせず、長くやれるのは役者だけなんですよ、と・・・。
妻夫木さんはモテる?という話に・・・
本人曰く、持てない。面倒くさいタイプで、九州男児なので我が強い女性は苦手、らしい。
杉田監督からは、裏表が無くて面白味が無いのかな?、と・・・。
ついでに、“女が主役で、男は選ばれるだけ”との考えを披露しています。
その監督、50歳で奥さんを亡くし、その後再婚、63歳で第3子(男女女)まで授かり、子育ての真っ最中のようです。
“徳川家康は62歳で子供が生まれている。1個上で、勝った”とちょっと誇らしげ?。
吉岡さんは、東映でワンピースのキャラクターをもらってきて、子供たちにプレゼントしているそうです。
35年、様々なことがあったでしょうが、とても良い関係が伝わってきて、何とも嬉しいですね。
結婚観について・・・
妻夫木さん、20代で結婚したかったがタイミングを逃して、今は巡り会いだろうという心境に変わった、と・・・。
映画「ブタがいた教室」(2008年)で共演した当時の小学生と再会して、当時3組のカップルが出来ていた話に驚いたと言います。
激変する恋愛のしかたについてひとしきり話が続きました。
~ここからは、続編(13日放送)~
吉岡さんが“役者さんが壊れた瞬間を見た”と語った、永堀剛敏さんのエピソードは紹介済みです。
この回は、ナレーションが“吉岡さんが尊敬してやまない後輩・妻夫木さん”で始まりました。
妻夫木さんは杉田監督から、まだ「若者たち2014」への出演を決めていないのに、“君、本気でやってもらわないと困るんだよ”と言われたそうです。
監督のそんな厳しい洗礼を受けて、“監督はこの作品で一緒に心中してくれる人なんだろうなと感じた”という妻夫木さんに、思わず“偉いね”と言ってしまう吉岡さん。
監督曰く、妻夫木さんは文句を言わないのに、吉岡さんは10倍ぐらい文句を言う、と・・・。
吉岡さんには文句を言うイメージが無いのに、監督だけには言うらしい。
監督の古希の会では“黒澤監督は70歳の時、「影武者」ですよ。何やってんですか、あなた”と生き方まで批判をしたそうです。
親父目線で、こうあってほしいから、との本人からのフォローが入りました。
吉岡さんの37年の芸歴に話が及んで・・・
「八つ墓村」6歳、「遥かなる山の呼び声」8歳、「北の国から」9歳、「男はつらいよ」10歳、多忙すぎる小学生でした。
遥かなる山の呼び声 [高倉健]
妻夫木さんの、やる気が無く、遅刻ばかりしていた新人時代。
「なぞの転校生」(1998年)で、ドリブルしながらセリフを言う演技が出来ずに、社長から“初めてだから仕方ないよ”と言われたことに発奮したらしい。
納得いかない、こんなものじゃない、と負けず嫌いなので、がむしゃらになって台本を読んだりいろいろな映画を観たりした、とか。
気づいたら、演じることが好きになっていた、と。
“死に物狂いで何かをやってみると、一瞬でもいい顔が見えたとか、やれば何か結果が出るのかもしれないなあと思って・・・”
“いい男だなあ。見習わないとなあ”と、やはり感心する吉岡さん。
杉田監督は、家族物のほかにも青春物が得意ということで・・・
「1970ぼくたちの青春」(1991年)は監督の高校時代の話を集めて、吉岡さんはノンポリだった監督の役を演じたドラマでした。
当時私も観ていて、切なくて印象深いドラマでしたが、友人のちぎれた腕のシーンは衝撃的でした。
このドラマについて、監督の想いについて、吉岡さんが熱く延々と語っています。
卒業の時、教師(陣内孝則)が黒板に書いた「されど我らが日々」(柴田翔)の一節“困難”について、熱く語る吉岡さんに圧倒されました。
“青春時代は一番危ない。命も賭けてしまう。とにかく死ぬな。と言いながら、片や困難に打ち勝とうとして命を賭けていた人間はどの時代にもいるんだ、というドラマでしたね”
監督が続けて
“自分自身の青春と言うよりも、その時代の困難から抜け出そうとした人が必ずいて、その人を通したときにあの人こそが自分の青春だと思えるのじゃないか”
“その人に出会うことが青春” “青春とは、困難に立ち向かうこと”
1970ぼくたちの青春 [VHS]
されどわれらが日々-新装版 [柴田翔]
二人の熱に圧倒されたのか、妻夫木さんから30歳を超えると青春物のオファーが無くなると思ったけど、“自分はまだ青春しているような気がしてきた”と・・・。
“ずっと走っているでしょ”という吉岡さんからの問いかけに、中国映画出演時の経験から休むとダメになるタイプと実感したそうです。
中国映画はドタキャンとか1ヶ月2ヶ月開いたりするらしく、休みだから飲む生活を繰り返してしまったとのこと。
吉岡さんは、楽屋で寝るのが幸せと・・・。
仕事に来ているという感覚(言い訳?)と、子供の頃から守られているという感覚があるそうです。
最後は、それぞれに趣味の話を・・・。
吉岡さんはバイクのツーリング、妻夫木さんは役の延長でカメラや絵を描いたり、監督は子育て?
3人ともに眩しいような白いワイシャツ姿で、吉岡さんを真ん中に挟んでのトークでした。
吉岡さんがとてもリラックスして楽しそうにおしゃべりをしていたし、妻夫木さんが性格の良さがそのまま出ていたように屈託のない笑顔を見せて、気持ちの良い時間でしたね。
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