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「あさイチ」プレミアムトークの田中泯さん

 

 

 

   
先週(17日)の「あさイチ」プレミアムトークのゲストは、田中泯さんでした。    
現在、朝ドラ「まれ」で塩作りの職人を演じているための出演でしょうが、異質なゲストという感じはしましたね。    
   
田中さんが世界的な評価を得ている前衛的なダンサーであることは知っていました。    
その映像はほとんで観たことはありませんでしたが・・・。    
個人的には、土曜ドラマ「ハゲタカ」(2007年)や大河ドラマ「龍馬伝」(2010年)での強烈な存在感がある演技で、俳優としての印象が強いですね。    
   
それにしても、塩作りのシーンで海水を撒いたり、私生活で畑で作業をしている姿の写真がすばらしかったです。    
静止しているのに、生きているという感覚が伝わってきました。    
   
塩作りのモデルの人(角花豊氏)を知っていて、実際に作業を教えてもらったとか。    
彼を知っていなければ、仕事として受けなかったと語っています。    
自分でわかること、できる範囲でしか仕事を引き受けない、とも・・・。    
“塩作りは素朴であるけれども、すごく情報がある”    
“塩作りとダンスの共通する点、瞬間的に動くこと”    
静かな語り口で、早々に含蓄のある言葉が出てきましたね。

 

 

 

    
僕はずっと裸だった [田中泯]

 

 

役に自分のどこかが出ているか?との質問には・・・   
“憧れの人が乗り移ったり、母親や父親が出てきたり、あるいはもっとたくさんの人が出てきて、そういう人で結成されているでしょ。田中泯って、固有のものなんて、あまりないんじゃないですか”    
“それでも、僕たちは個性がほしいと思って生きているわけですよね。私はひとりしかいないと・・・。    
それは素敵なことですけど、本質は誰とも変わらない。ただ偶然の生まれてからの時間の中で形成されていると(私自身は考えている)” 

有働さんからは、“型にはまらないって難しくないですか?”   
“自分の体で参加する。俳優とはアプローチが違う。踊っていることが大事” 

井ノ原さんからは、“「たそがれ清兵衛」の最後は踊っているようでしたね”   
“そうでしょ。芝居のほうが踊っているみたい。踊りだけのビデオはつまらない。表現が映像に映らないから・・・。    
映画の現場で、山田洋次監督に任せてもらえて感謝をしている”    
井ノ原さんの感想に嬉しそうでした。

 

    
たそがれ清兵衛   

 

「まれ」の土屋太鳳さんがVTRで出演し、“いとしい少年のよう”とのコメントを・・・。   
“子供のころ、大人は何で祭りを止めるんだろう(と、思った)。    
僕はいまだに子供ですから・・・”    
撮影現場で、自分だけメイクしていないのが不満だとまじめに答えています。 

場踊りの映像が紹介されました。   
心のままに、全身で動き、静止する、そんな不規則な踊りが自然の中で展開されていきます。    
インドネシア、緑に囲まれた民家の前で、牛が耕す田んぼの中で、バイクが通りすぎる農道で、そして道で一緒に踊る人がいました。    
後に、彼らと一緒にお茶を飲んだそうです。    
現地の人たちは寛大なのか?という井ノ原さんの言葉に、踊りと思っていないのかもしれない、と答えています。    
   
踊るということ・・・    
“中から生まれるものと、外から刺激を受けて出てくるものがある。    
日本には“心が躍る”という言葉がある。    
踊るということは昔からあって、心まで躍らせたりするわけですよね。    
蝶々が踊ったり、木の葉が踊ったり、言葉でここまであるのは日本以外にない。    
舞台で技を見せても一面ではある。    
俺なんかより踊り自体が凄い。そっちに近づくのが俺の仕事” 

“世の中、お互いを拘束せざるを得ない。踊りは境目をほぐしてしまう。   
言葉以前のコミニュケーション。    
言葉が達者じゃない時代、感動や恐怖を伝えるのにやむなく動いている。    
ハンディキャップの人たちの動きは、踊りと自分は思いたい” 

言葉が苦手だった、と子供時代を語ります。   
周りは成長していくのに、超晩熟の子だった。そんなときに踊りに出会った、とのこと。 

“人間は器用で、集中しているが開いている。   
感覚的なものも含めて、見えなくなったり、聞こえなくなったりするのは、違う集中のような気がしてしようがない。生き物としては、それが本当だと思う。集中して開いている”    
   
踊っている時に邪魔が入ったら?と聞く井ノ原さんに、来るなとその前にわかる、と。    
“踊りは研ぎ澄まされている。    
傷ついてもああ痛いな程度、と感覚的な速度が増している。    
速度が与えられてしまいますよね”    
   
“たとえば、ドアをすごくゆっくり開けてみてください。    
外の空気が入ってくるか、中の空気が出ていくかまでわかります。    
窓でもいい。カーテンがゆれ始める瞬間がキャッチできます。    
僕たちはそういう瞬間の積み重ねで出来上がっているわけでしょ。    
一日中、顔を撮影したら、ものすごい数の顔を見せている。    
僕たちはトンと飛ばしながら生きてるからね”    
   
井ノ原さん、“僕たちは感じないまま死んでいくんですかね”    
“頭は感じてないだけで体はやってくれている。体のほうが頭いいからね” 

 


海やまのあひだ [田中泯]

 

 

視聴者からの質問・・・舞踏家ではないのですか?   
尊敬する土方巽さんは、名前をつけられない踊りを踊った人だが、いつの間にか舞踏家として固定してしまったこと、分類できないものはしなくていい、自分は舞踏家ではない、と語っています。   
 
田中さんの踊りを見ている子供たちについて・・・   
“子供は生きている密度が濃い。   
大人から見て同じように見えるけど、やるたびに違っていて、新しく見えている”   
 
視聴者からの“気合で怪我を治す?”には、あまり治療はしない、と。   
山梨で農業、畑、家を直したりしているのはなぜ?には、   
“明治時代、6割は農業だった。日本独自の発達をした、体感してみたい”   

10代の女性から・・・   
“家中のドアを開けてみた。    
空気の音が聞こえてくるようで面白かった”    
田中さん、嬉しそうに、“偉い”とつぶやきました。 

子供の動きが踊っているように見える・・・   
“踊りに特許や権利はないんです”    
   
許せないほど嫌いなものは?・・・    
“自分の中の子供のような気持ちを隠してえらぶっている大人たち。    
自分も持っているが出さないようにしている。    
   
まわりを気にしないで自由に踊るには?・・・    
“動くことだけが踊りではないと思う。ベッドの人が心の中で踊れなければ・・・”
   
   
   
訥々と語る言葉が深くて、深すぎて理解できなかった部分もあったりして・・・    
採録しっ放し状態になってしまいました。    
井ノ原さんが田中さんとまっすぐに向き合い、理解しようとしている姿勢が印象的でしたね。   

 

<関連記事>   
朝ドラ「まれ」2週間過ぎて  2015.4.11.

 

    
意身伝心 [田中泯]

 

 

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