永六輔さんと“まあ、いいか”
7日、七夕の日に永六輔さんが亡くなりました。
そのニュースに、少なからずショックを受けています。
永さんは、憧れの人でした。
いつも日本中を旅していて、その間にラジオでおしゃべりをし、本なども執筆し、様々な活動をして、本当に八面六臂の活躍をしてきた人でしたね。
私は、別に旅好きな人間ではありません。
ただ、自由な生き方をしている(と思えた)永さんが好きだったのでしょう。
閉塞感があった時期には特に・・・。
東日本大震災のとき、すでにパーキンソン病を発病していたのに、支援に動いていたドキュメンタリー番組がありました。
その中に、足元がおぼつかない姿でひとり道を歩く後姿の映像があり、胸が詰まる思いがしました。
ラジオでまるで別人のような声にショックも受けました。
その後、永さんの姿を見たり聞いたりするのを、どこか避けるようにしていましたね。
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永さんが亡くなったことを知って、20数年前にラジオ「誰かとどこかで」のコーナー “七円の唄” で何度か投稿文が読まれたことを思い出しました。
当時のカセットテープを探し出したものの、聴くのにためらいがありました。
つい泣けてしまうのではないか、と・・・。
先ほど、勇気を出して聴いてみました。
昔の変わらない元気な声に、涙ではなく、笑顔が出てきました。
投稿文のタイトルは、“まあ、いいか”。
どうにも上手くいかない毎日に、ついため息混じりに出てきた “まあ、いいか”。
アシスタントの遠藤泰子さんが 文中の“シャッター” を “シャワー” と読み違えています。
おかげで、数点の投稿の中で、私の文章だけで二人は最後まで盛り上がってくれました。
永さんいわく “ベストをつくした。まあ、いいか(という意味)だね”
“(文中で)なんども繰り返しているから、べつに録りなおししなくてもいいか。まあ、いいかで毎日放送しています”
そう笑い飛ばして、番組は終わりました。
永さんは元気でいつものように日本中を旅しています。
そう信じられる声でした。
聴いてよかった、とつくづく思っています。
このところの体調の悪さも、元気に乗り越えられそうです。
感謝の思いを込めて、心よりご冥福をお祈りいたします。
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