【闘病日記 32】東日本大震災から10年
「B細胞性前リンパ球性白血病」と知ってから、自分に言い聞かせている言葉があります。
“受け入れて、乗り越える”
同じ病気でこの記事を読んでくださる方がいるとしたら、一緒に乗り越えていけたら、と願っています。
この3月11日で、東日本大震災から10年になります。
節目の年ということで、テレビではたくさんの関連の番組が放送されています。
正直、当時以上に観るのが辛く感じます。
病気のせいか、年齢的なものかはわかりませんが・・・。
宮城県人ですが、細々とした被害と生活の不便さはありましたが、大きな被害はありませんでした。
それでも、まるで世界の終わりを感じさせるような、永遠に続くかと思えた揺れをいまだに思い出します。
先月13日の当時を思い起こさせる大きな地震には、恐怖で当時と同じように開け放したガラス戸にしがみついていました。
震災当時、“サバイバーギルティー”という言葉が広がりました。
― 助かった者が罪悪感、無力感を感じてしまうこと ―
映像を観るたびに、平穏な時間を過ごせていることの申し訳なさ、祈ったり、募金をすることぐらいしかできない自分を情けなく思う気持ち・・・。
さまざまな気持ちが語られ、それに対して、またさまざまなメッセージが送られていました。
当時の記事のコピーが見つかりました。
そのメッセージの一つです。
「自分がまずココロもカラダも健康でいること。毎日の生活をきちんと続けること。テレビを消して、大事なニュースは一日に3回ほど観れば十分です。自分軸をしっかり持って、今自分が出来ることと出来ないことの見極めをちゃんとしていきましょう」
今に置き換えれば、医療従事者たち、それに関わっている人たちへ感謝しながら、日々自分が出来ることをやり続けて、感染を広げないようにすること、でしょうか。
きみは「3.11」をしっていますか? ~東日本大震災から10年後の物語~
こちらのNHK仙台放送局の番組に「被災地からの声」(毎週土曜日・午前10時5分~30分)があります。
震災後すぐに始まった番組です。
被災者がスケッチブックにコメントを書き、インタビューに答えています。
頑張りすぎるほど頑張って、絶望を払いのけて自分を奮い立たせるようにしている、たくさんの姿がありました。
そのコメントには、当時から、今でも、支援者やボランティアに対する感謝の言葉が溢れています。
最初の頃は観ているのがとても辛かったものです。
何度か観るのをやめようとも思いました。
それでも何とかこの10年、番組を観続けてきました。
入院の時期には観られませんでしたが・・・。
それが、何もしない、何もできない自分へ課してきたことですから・・・。
毎週観ていると、急激な変化を感じることはありませんが、少しずつ少しずつ、変わってきた風景があり、穏やかな笑顔が観られるようになったという感慨はあります。
ハード面が整ってきて、観ている側としてはちょっとホッとしている部分がありますが、それでも復興にはまだまだです。
この番組が終了するときが、本当の復興だと思っています。
津田アナウンサーとスタッフの皆さんには、これまでのご苦労に感謝しながらも、これからも頑張ってほしいと願っています。
*4月から「被災地からの声 次の一歩」として、(土)午前10時06分からのようです。
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