【闘病日記 51】自由律俳人・住宅顕信さんの一句
「B細胞性前リンパ球性白血病」と知ってから、自分に言い聞かせている言葉があります。
“受け入れて、乗り越える”
同じ病気でこの記事を読んでくださる方がいるとしたら、一緒に乗り越えていけたら、と願っています。
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おなべはあたたかい我が家の箸でいただく
住宅顕信(自由律俳人)
「NHK俳句 歳時記食堂」(NHKEテレ・1月1日放送)で、住宅(すみたく)顕信さんのことを初めて知りました。
25歳という若さで亡くなった自由律の俳人です。
経歴を・・・
1961年岡山県生まれ。
19歳~尾崎放哉の俳句と出会う。放哉の句集には隙間もないほどにギッシリとメモ書き。
21歳~仏教学院の通信教育を受講して、仏教に傾倒していく。
22歳~得度して、浄土真宗の僧侶に。そして、結婚。
23歳~急性骨髄性白血病を発症。息子が誕生するも、離婚。病室で子育て。
25歳~1987年(昭和62年)死去。
駆け抜けた人生で、残した句は、281。
以下は、闘病中に読んだ句です。
若さとはこんな淋しい春なのか
気の抜けたサイダーが僕の人生
ずぶぬれて犬ころ
息子さん(37歳)が、最初に紹介した句の色紙を見せてくれました。
最後の年の正月元旦、自宅で書いたものです。
その絵(重ね餅と本人?)と、自由に散りばめられたような柔らかな大小の文字は、見る側を何ともほっこりさせるものでした。
ゲストの作家・夢枕獏さんは、“俳句は彼の救いになっていたのではないか”と・・・。
そして、“自分は長編を書いているが、言葉にこだわっている人間たちが最後にすがる分野は俳句と思う” と語っています。
この年末年始は、私にとっては初めて尽くしでしたね。
「知恵泉」(NHKEテレ・12月28日放送)で、大田南畝という人物を知りました。
江戸時代、下級武士でありながら狂歌師、戯作者として、その他にも幅広く、活躍した人。
番組では、武士の仕事のかたわら、趣味で始めた狂歌が大ブームになり、副業として収入を得るまでになり、仕事と趣味、どちらかを取るのではなく、“いかに豊かに生きるか”を大切にして人生を全うした人物と紹介していました。
たまたま番組の最後の方を観ただけなのですが、きれいに咲いた庭の梅を楽しもうと思ったら、物干しの自分?の下着がそれを遮っていて、頭を抱えてしまった、というシーンがありました。
よく理解できなかったのですが、とにかく日常の細やかなこともポジティブに変換して暮らした人のようです。
貧しくても好きなことだけをやりとおしたらしいです。
番組を中途半端に観てしまったので、俄然興味が湧きました。
住宅顕信さんのことも、大田南畝のことも、もっと知りたいと思いました。
今は入院前なので図書館の利用を控えていますが、退院したら思いっきり挑戦してみたいですね。
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