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【闘病日記 55】「やまと尼寺精進日記 ひとり生きる豊穣」を観て

 

「B細胞性前リンパ球性白血病」と知ってから、自分に言い聞かせている言葉があります。
   “受け入れて、乗り越える”
同じ病気でこの記事を読んでくださる方がいるとしたら、一緒に乗り越えていけたら、と願っています。

       ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

9日の「NHKスペシャル やまと尼寺精進日記 ひとり生きる豊穣」を観ました。
2020年に本放送が終わって、今は再放送を観ているだけなので嬉しかったですね。
身体にも目にもやさしい料理の数々、3人の絶えない明るく楽しそうな笑い声が響く風景が、とても好きでした。

本放送の終わりを突然に感じていました。
だいぶ後になって、副住職の佐々木慈瞳さんとお手伝いのまっちゃんが下山していたことを知って、ちょっとショックでしたね。
私は毎朝テレビ体操(ラジオ体操も含む)をしています。
本放送が終わってからも、3人は変わらずに、私と同じ時間にラジオ体操をしているものと思っていたものです。今もですが・・・。
今回の映像では、お寺の上り口に3人の人形が無くて、何とも寂しかったですね。

ひとりになったご住職の後藤密榮さんはどうしているのか、ずっと気になっていたので、今回の放送は本当に嬉しかったですね。
最初に登場した時、玄関までの道の両側に緑が鬱蒼としていて、やはりひとりでは手が回らないのだと思ってしまいました。
でも、いつもと変わらない穏やかな笑顔で、コロナ禍で野菜を作っているのだと語っていました。


 

本放送は途中から観たので、お寺(音羽山観音寺)とご住職の因縁などは知りませんでした。
平成元年に38歳で入山。当時は廃寺同然だったようです。
里の人々の力を借りて、7年をかけて立て直したとのこと。

ひとりになったご住職ですが、今回はふたりの代わりにふもとに住む堂上潤子さんが多めに登場。
入山の時からのお付き合いで、本放送でもおなじみですが、今回はより支えてくれていることがわかりました。
里の人々との変わらないつながり、支え合いを確認できて、ホッとしましたね。

正直、あの3人の明るく笑いが絶えない暮らしの日々が、永遠に続くものと思っていました。
ひとりひとり、夢があり進みたい道があったことを想像もしないで、こちらの理想を重ねてしまっていました。
病院や学校のカウンセラーになった慈瞳さん。
イラストの仕事についたまっちゃん。
それぞれが充実した日々を過ごせていますように。
そして、ご住職、体調に気をつけて、穏やかに過ごされますように。


<関連記事>
 「やまと尼寺 精進日記」“卯月 たけのこ お花見 ピクニック” 2017.5.4.

 


 

 

 

 

 

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